南薩鉄道の保存車輛 廃止後


100型・300型気動車導入以降、貨物列車および支線の旅客、本線での朝夕の混合列車への運行に狭められていた蒸気機関車は、 2台目DD1202運用開始1963(昭和38)年1月25日より40日後の1963(昭和38)年3月5日に全車廃車となっています。
蒸気機関車運用停止指示は本社から当日の朝に突然下ったそうです。

蒸気機関車は「明日から運用しない」

現場は寝耳に水で、通常運用から帰庫した状態で実質廃車となりました。
当日5号機は点検整備の最中でしたが、ロッドが外された状態のまま復元されることはありませんでした。
いつもの機関庫前のヤードから構内隅の側線に移動させられ、ピカピカだった車体も1年も経つとサビが浮き、鉄道廃止になるまで20年余り構内留置位置の若干の移動はあったものの、 再び火が入ることも無く、多くの機関車は雨ざらし状態で留め置かれました。

“赤さびた廃車機関車が留置されている加世田駅” として記憶されている方も多々いらっしゃると思います。


鉄道廃止371日前、加世田豪雨の102日前、1983(昭和58)年3月12日撮影。



1984(昭和59)年3月17日鉄道廃止後、加世田駅の様子です
蒸気機関車運用停止の時と同じように、廃止されても車輛はもとより、駅諸施設もそのままの状態で手を加えられませんでした

廃止からしばらく経って・・・
走っていた頃には遠慮していた雑草が我が物顔で繁茂しはじめました



初夏
虫や鳥たちが忙しく動き回っても、駅は沈黙したままです



盛夏
真夏の猛烈な日差しの下、整備すればすぐにでも走りだしそうな車輛たちですが、構内はすっかり草に覆われています



秋霖
乱舞していた赤とんぼもいつの間にかいなくなり、朝晩冷え込むようになりました



尾灯や容易に取り外しの出来るパーツは鹿児島市内の山形屋で販売されてしまいました
それでも、解体当日まで自走可能な状態でした






5号機   整備途中で運用停止となり、ロッドは外されたまま復元されませんでした




13号機  耐用年数50年の機関車は新製購入して15年間しか使用されませんでした 運用を終えて帰庫後ほぼ雨ざらしで20年間留置




14号機




14号機




スカイブルーだった頃の面影なく、屋根も抜け落ちてしまいました   一方、廃止にあっても貨客庫で保管されていたテフ25の状態は良好でした



無蓋車や有蓋車も多数残されていました



そのままの姿で残されていた加世田駅でしたが、跡地再開発決定により、数日をかけて多数の車輛が解体処分されました
加世田水害により枕崎に取り残されていた丸型気動車キハ102も加世田での作業完了後、日を置かずに処分されました



廃止時、車籍の無い車輛も含めてレールに載っていた車両リストです
廃止以前より、1・2・4号機、12号機、DD1201・1202・テフ25・モーターカー・溶接車は車庫に仕舞われていました



解体処分後も1号・2号・4号・12号蒸気機関車とキハ103は機関庫で、
DD1201・1202とモーターカーは動車庫で引き続き保管されました
写真は鉄道廃止後に撮影した、動車庫のDDとモーターカーです

モーターカーは全線のレール撤去にあたりました
加世田〜津貫間は加世田豪雨により軌道や鉄橋流出被害にあいましたが、
仮設橋や応急処置により一度枕崎まで線路を繋ぎ、
改めて枕崎から加世田に向けてレール撤去がされました
レールは各駅構内に集積し、トラックによって回収されました

同様に、伊集院〜加世田も伊集院から加世田に向かって撤去されました
DDはレール撤去作業には一度も利用されませんでした



レール撤去とともに車輛処分も行われ、時を置かずして、倉庫(左端)、電気室(左奥)、動車庫(左)、機関車庫(右)を除いて、
加世田駅施設は全て取り壊され更地となりました



加世田駅ホーム上から動車庫(左)、客車庫(中央奥)、機関車庫(右手前)  1980(昭和55)年3月21日撮影



2017/02/12 公開