南吹上浜駅 (伊作〜南吹上浜)


 伊作駅の本屋寄りのホームから発車した汽車は右カーブを続けていきます。腕木式信号機を過ぎるとようやく長かった曲線区間も終わりとなり、左右に水田の広がる750メートル余りの直線区間に入ります。右手車窓を見れば水田奥の丘陵に、先ほど下ってきた線路が張り付いていることが確認できます。運がよければ伊作駅で交換した汽車がこの汽車と同方向に薩摩湖に向けて上っていく姿を見ることができるかもしれません。

 水田のまん中に作られた築堤を進行したあと、左に45度急カーブすると映画のエンディングシーンで使われた伊作川の鉄橋にさしかかります。塗色は朱色です。

 鉄橋を渡り終えると再びほぼ一直線に約700メートル、高低で約10メートル弱上がった先が南吹上浜駅となります。






 模型化したいような素敵な鉄橋です。
 徹底的に作りこんでアクリルケースの中に収め、車両展示用とするのはどうでしょう。

 強固な構造のトラス橋にしないと渡せなかった距離だったのかどうか、途中に橋脚を入れて簡素(構造・建造費・保守)なプレートガーター2連で渡しています。

 橋脚の位置が不思議ではありませんか?

 奥が上流です、大水が出たときに川のカーブ状況から考えて、左右どちらの流れが強いかといえば左方でしょう。
現に本流は左を流れています、また堤防側面も右に比べて急峻になっています。本流の中に敢えて障害物たる橋脚を設置し、流出物が橋脚に当たったり、絡まって更なる水圧を受ける危険性を孕んでまで設置した理由は何だったのでしょうか。どう考えても右方に設置するほうが理に適っていると思うのですが。
 もっとも、廃止までその役目を果たしたわけですから杞憂でしたが。






 

 午後の静寂のなか、もう来てもいい頃だとずいぶん前から傘にあたる雨音と共に、線路の先の一点を凝視し続けている。

 あっ、来た。

 ヘッドライトが現れて、屋根の白さで丸型気動車だと直感すると、もう6枚窓が見えてきて、ゆらゆら左右に揺れながら姿を現す100型。

 台車と線路が繋がって完全な姿をあらわすと前方からは「コトン コトン  カシャン カシャン」、すぐ横のレールと枕木からはこもった「 ゴッ」という響きが伝わってくる。

 車両番号もはっきりと分かるくらいに、ホーム手前まで差し掛しかかったころ、ふと視線を移すと待合所隅に女性がひとり、いつ来たんだろう。


 

 プラットホームを木杭と板で組み支えています。
 すでに紹介のとおり、吹上浜、薩摩湖、そして南吹上浜の3駅のみがこの方式をとっていました。

 Q: この3駅の共通点はお判りになりますか?(正解は1っ)

 (イ).開通後に作られた新駅だった 
 (ロ).交換施設を持っていない駅だった
 (ハ).駅舎を持っていない駅だった
 (ニ).貨物・荷物扱いをしていない駅だった
 (ホ).停留所扱いの駅だった


 大正時代に開業した伊集院〜薩摩大崎町(薩摩万世)間、11中間駅のなかでは唯一最後まで交換施設を持たない駅でした。また、貨物・荷物扱い廃止、駅員の無配置が1953(昭和28年)年で、これも11駅の中では一番最初でした。

 かつては駅舎があったようですが、1945(昭和20)年台風により倒壊したとのことです。

 開通より遅れること2年2ヶ月後、1916(大正5)年7月に入来駅として開設しています。(吹上浜駅は13ヶ月後に開業し1949(昭和24)年9月にスプリングポイントが設置され停留所から停車場に変っています また、薩摩湖駅は昭和に開業した南薩線最後の新駅です)

 ということで
 A: (イ)の 「開通したあとに開設された駅だった」、が3駅の共通項です。

 因みに、上日置駅も開通したあとで大正時代に開設していますが、ホーム側壁は石(コンクリート?)でした。

 






 誰だぁ〜! 自転車置き場にしたのは。

 お待たせしました、厠シリーズ第二弾。

 どんなに切羽詰った状態でも、うら若き女性じやなくとも、「厠シリーズ第一弾」とは別の意味でできないでしょうね。
 なんてったって OPEN TOILET ですから。



 

 






 Aを見ていただければお判りのとおり、カーブ途中にある駅です。

 伊作駅のホーム側壁が滑らかに線路の曲線と合致していたのに比べて、だいぶ大雑把に出来ています。
 「大丈夫、少しくらいヘーキ、ヘーキ」といった感じで作っちゃったのか、線路が移動(?)しちゃったのか。




2008/02/22 公開