(吹上浜〜薩摩湖)

 

 吹上浜駅と薩摩湖駅は全23駅間で最短の0.9km、徒歩でも10分程度の距離です。(因みに東京駅〜0.8km〜有楽町駅〜1.1km〜新橋駅)

 松林の中、砂地に敷かれたレールの上を進行していきます。
 犬走りがくっきりと確認できます。








 《上》 車内から (1980(昭和55)年3月キハ300型)
 《横》 車外より (1983(昭和58)年3月キハ103)、
 車両の位置をほぼ同じくして、車内外の写真。

 《上》 の車内からの写真の突き当たり、
カーブ位置から @は吹上浜駅方向に撮影しています。⇒

 



 

 (目に優しい?)国鉄気動車色のクリームと朱色と比べると、鹿児島交通のディーゼルカーはかねてより「どぎついなぁ〜」と思っていましたが、濃緑の松林の中にあっては良く映えています。

 空が青けりゃもっと映えたかもしれない。







 吹上浜駅方より薩摩湖駅方向を撮影。


 吹上浜と薩摩湖周辺は昭和30年に観光開発され、「吹上バンガロー村」の宿泊施設として南薩線上から退いた客車たちが余生を送っていました。

 残念ながら訪問時に見つけることはできませんでした。(解体済み?)


 ※吹上浜のページ同様、説明上@→A→Bの順番に並べましたが、
B→A→@の順で撮影しています。


 

 





 

 昭和30年1月1日開設。南薩線で最後に開業した駅です。

 1979(昭和54)年当時の1日あたりの乗降客数は454名で伊集院1,078名、加世田510名に次いで第3位の扱いです。
 無人駅のなかでは「ぶっちぎり」の第1位。次は吉利駅の152名、永吉駅137名となります。

 平日は県立吹上高等学校生、行楽シーズンは薩摩湖(中原池)や吹上浜への行楽客を引き受けていました。






 1983(昭和58)年3月の時刻表では

   加世田発 7:41
   伊  作発 8:03
   薩摩湖着 8:06
        発 8:10
   伊  作着 8:13
        発 8:43
   加世田着 9:03

 薩摩湖止まりの「休日・休校日運休」、通学列車が設定されていました。


 開設当初より貨物扱いは無く、ホームも単式でした。

 

 



 

 駅ホーム端に立って振り返ってみると。


 「ん!」 トンネル?

 摩訶不思議な構造物! なんだ!?


 

 トロッコ風列車に乗って進んでいくと林の中から突然ティラノサウルスが・・・。
 アトラクション的雰囲気。


 道床が砂地のためか枕木が密に敷設されています。


 薩摩湖駅に隣接した吹上遊園駅とつつじが丘駅間、0.5km強を結んで1956(昭和31)年春から「薩摩湖ロープウェイ」が運行されていました。 搬器は「つつじ」、「あやめ」と名づけられ薩摩湖面上を行き交っていました。

 線路に覆いかぶさる構築物はロープウェイからの落下物を防御するための古レールで組まれた防護柵です。
 頭上には索条が確認できます。


 「鉄道ピクトリアルNo.127 1962-2月号」、谷口良忠氏の「南薩鉄道抄誌」には昭和35年5月に撮影された「さつま湖ロープウエイ」の写真があります。
Bとは反対側の吹上浜駅方から防護柵の上をゆくロープウェイを写していますが、「あやめ」と思われる搬器が意外と低い位置を通過しています。また、鉄道軌道の左右には観光客が立ち入らないように犬走りに沿って(古枕木?を流用した)柵が整然と設置され、海側にはバンガローか倉庫か不明ですが客車(キハ1?)が置かれています。当時の観光にかける意気込みが伝わってくる記録写真です。

 しかし、活況を呈したのも一時で、10年程で運転休止となってしまったようです。手許にある1967(昭和42)年12月の時刻表の索引地図ではすでに転載されていません。
 堀 淳一氏の「消えた鉄道を歩く」によると鉄道廃止9ヵ月後の時点で「二台の小型搬器が、ガタガタになりながらそれでもかつての塗色を鮮かに残して、放置されていた。」との記述があります。


 整然と設置されていた柵もわずかに面影を残すのみ。


 木製の駅名標。

 書体は言わば「毛筆書道体?」。
 想像ですが、会社内で皆が認める達筆な方が選ばれて(社内調達?)書かれたのではないでしょうか。
 「つ」の字の 先っぽ が割れているあたりは味わいがあります。


 一般的に表記項目は「ひらがな」「漢字」「ローマ字」「所在地」「隣駅(漢字)」「隣駅(ひらがな)」「隣駅(ローマ字)」などが考えられますが、私が知る限り南薩線では写真の表記に統一されていました。
 駅名はチマチマせず堂々と大きく (県民性? 「ひおき」駅がすごい!) ローマ字は直線的に、隣駅のフォントサイズはおおまかに。

 表示板の上下に横木の付いていないタイプもあります。


 薩摩湖駅には駅舎がありませんでした。ホームとは古枕木の柵(写真の駅名標の奥)で境界がされ、中央部に軽便な改札口が設けられ多客時に対応が出来るようになっていました。

ホームの表面は砂地です。
















 昔は、大層賑やかなときもあったのかもしれない。



 雨の中ひっそりと佇む 南薩線 薩摩湖駅。

プラットホームがなければ異国の「打ち捨てられた貨物線」といった雰囲気。 旅客鉄道とは思えない道床。

2007/11/06公開





《追記》2011/11/23


 フィルムスキャン&プリントのS 様
 
   つれづれ操車場
     鹿児島交通 南薩線 (その1)
 
 よりお借りしました。


 薩摩湖ロープウェイの麓駅(吹上遊園地駅)を南薩線薩摩湖駅方から永吉(伊集院)方向に撮影しています。
 南薩線の線路は右に敷かれています。

 撮影は1981(昭和56)年4月で、廃止から15年前後経過した姿です。84年の夢幻鉄道さんの記録写真(皆様からの情報 No.-1)では2台の搬器が並んで撮影されていますが、この時点ではもう1台は頂上駅(つつじが丘駅)に置かれていたようです。

 麓駅と山頂駅との高低差が20m程度ゆえ、コンクリートのプラットホームも水平に見えます。観光用なので荒天時の心配はさほどしなくて良かったためか、プラットホームの側面はがら空きです。
 
 搬器は木の板で保護していたようですが、窓ガラスは割れて(割られて)います。




 誰一人いない写真ばかり公開してきましたが、客扱い第3位の駅であった証拠写真を F&PS 様よりお借りしました。

 学校は手前にあるはずなのに、みな背を向けてあら不思議と思いきや、電信柱手前に設置された改札口に向っているからです。
 他の無人駅はどこからでもホームへの入退場は自由でしたが、この駅だけはホームとの境界を使用済み枕木で囲い、木製の改札ブースを設けてしっかりとチェックできるようになっていました。
 上屋はホームにも改札にもありませんでした。雨天での改札は行なっていたのかしら。

 510名の乗降ということは、丸型・角型ともに定員は120名ですので結構な混雑だったはずです。男子学生・女学生、学年別の住み分けはどのようにされていたのでしょう。


《追記-2》2013/09/99

薩摩湖ロープウェイについて

 なにぶんにも現存する資料が少なく、お伝えできる情報は限られますが、そもそも薩摩湖(旧 中原池)の開発はこれといった産業のなかった南薩線沿線に伊作温泉とセットで集客施設を作り南薩観光の拠点として活性化ならびに鉄道収益増大を目的として1952(昭和27)年11月に起工されました。湖に浮かぶ中之島に全長12mの鋼製吊橋を架橋し、四季を通じて集客できるように120種2,000苗のバラ園を造園、ツツジを12万本移植、麓には豆汽車や観覧車・ロケット型回周遊具などを備えた遊園地、小動物園まで造られました。ロープウェイ(南薩鉄道ロープウエー)については1956(昭和31)年3月3日に開業しています。麓駅が“吹上遊園地”、山頂駅が“つつじが丘”