蒲原鉄道 廃線後 比較写真


 1985(昭和60)年3月に村松〜加茂間が廃止されて20年目にあたる2006(平成18)年11月に自転車にて再訪しました。 (現地までは自動車の屋根に載せて運搬)

   


 再訪に際して一番気にかかっていた場所が、駒岡〜東加茂間にあった第4種の踏切です。
 鬱蒼とした杉木立にあった、「好ましい雰囲気」がどのようになってしまったのか、とても興味がありました。
 「Google Earth」で事前に確認したところ、軌道跡は自動車道路に転用されていましたが、かつて線路上にあった橋梁は昔ながらに確認ができ、果たして、側道との交差部分は拡張されたり大規模改修されているのか、むかしの面影はあるのか、どきどきしながら訪れました。
 その結果は、「侘び寂び」は減じていましたが、結構昔のままでした。

 しかし、昔の面影を残すこういった場所は数えるほどで、そのほかの多くの場所は「変わってしまったな」といったところが率直な感想です。
 とりわけ年月の経過を実感せざるを得なかったのが、七谷駅の交換風景を俯瞰撮影した場所です。
 当時、自家消費用の小さな畑の横に三脚を立てて、畑のおばあさんと「あんた、どっから来なすった」から始まる一連の会話をしながら撮影したような記憶があります。ここも楽しみにしていた場所のひとつでしたが、砕石場となってしまったようで、山自体が消滅していました。残っている横の山腹から取り付いて 「せめて似たような写真でも」 とがんばってみましたが、道も無く山自体手入れをしていないので下草が猛烈で断念せざるを得ませんでした。

 「地形そのものが変わってしまった」は極端ではありましたが、20年も経っているわけですし、筑波鉄道のように軌道跡を軌道跡として積極的に残しているわけでもないので当たり前と言ってしまえはそれまでですが、七谷駅などは変わってしまった、ということより「寂しいな」といった感情のほうが強くありました。


 過ぎた個人の感傷などは「どうでもいいこと」でしょうから以下、寺田〜駒岡まで順に並べてあります、どうぞ見比べてみてください。


   
寺田方から西村松方向 (すぐ右が寺田駅)


   
寺田方から大蒲原方向。 前後の部分を盛り土してかさ上げしたため、川との距離がさらに遠くなってしまった。


   
寺田方から大蒲原方向


   
大蒲原駅より寺田方向


   
大蒲原駅より寺田方向。 道路右横の建築物は鉄道とは関連無く、近年建築されたものと思われます。

   
大蒲原駅より寺田方向。 駅本屋のあった場所にはコンクリートの基礎が残っており容易に場所の同定は出来ます。

   
大蒲原駅より高松方向


   高松駅跡を大蒲原方から土倉方向に向けて



   
冬鳥越方より土倉駅


   
冬鳥越方より土倉駅


   
土倉駅より高松方向



   冬鳥越のトンネル 冬鳥越方から土倉方向
廃線後、盛り土がされ軌道のあった位置より高い場所から撮影


   
七谷方から冬鳥越駅方向(冬鳥越駅はトンネル手前)
トンネルは構築物に遮られ確認できない。左端に見える道路で位置を確認していただきたい。
軌道跡は展示してある「モハ61」のある場所とは異なります。

   
冬鳥越方から七谷方向


   
七谷駅本屋正面。 丸型ポストはなくなってしまった。


   
七谷駅貨物ホームから冬鳥越方向。 草が刈ってあったので比較可能となりました。


   
七谷駅から狭口方向。 正面の小山中腹から俯瞰写真を撮ったが、たとえ20年前の撮影場所が確保できたとしても木々が邪魔して比較写真は撮影できない。


   
七谷駅から狭口方向。 本線ホームと貨物ホームの空間には土砂が積まれ、更にススキの類が繁茂して近づけない。

   冬鳥越方より七谷駅全景



   
冬鳥越方より七谷駅全景。 本屋が20年、年月を重ねた分、本屋前の杉も20年分成長した。


   
冬鳥越方より七谷駅


   
七谷駅より狭口方向。 側線部分は盛り土がされ足元が悪い上、ススキの繁茂で踏査不能。


   
狭口方より七谷駅


   
東加茂方から駒岡駅 駒岡駅を発車して狭口方向に進行するモハ31。 桜の木が植わりました。


    
東加茂方から駒岡駅方向


    
東加茂方から駒岡駅方向


    
東加茂方から駒岡駅方向(S正市氏撮影) 道路用に拡張されても軌道を見下ろしていた橋梁は残された。


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2010/06/13 リンク部分を「蒲原鉄道 リンクページ」に分離