はじめまして、「red50kei」の作者 red50kei です。

 
 数あるサイトの中から「red50kei」を閲覧くださったこと、さらに作者に興味をお持ち頂き、このページをわざわざ開けてくださいましたことを、お礼申し上げます。 



 
 久大本線、筑豊本線の50系客車、美祢線の鉱石列車の撮影。
 日田〜美祢〜厚狭まで自転車にて移動 あさかぜ車内1泊+3泊5日。
 30歳代中盤まだ髪の毛多数。



 自己紹介いたします。

 1960(昭和30)年代生まれ。 2児の父親。

 東京 北区 飛鳥山 都電32系統(現 荒川線)専用軌道に接する借家で生まれ7歳まで過ごしました。

 当時の都電は防護柵などは設置されておらず裏口を出るとすぐさま軌道となり、生活通路として活用されていました。

 つりかけモーター音とタタン・タタンという独特のジョイント音を聞いて育ち、自分の意思で行動できるようになると、裏口より出て都電が通過したあとすぐにレールに耳を当て、よりライブなジョイント音を聞いていました。小学校に上がってからは上級生の指導のもと、都電に釘を踏ませて手裏剣やナイフを作ったり、飛鳥山の崖下や王子駅と連絡する橋梁の上から本線の電車を眺めたりといった幼年時代を過ごしました。
 


日田〜飯塚間で一泊





 小学校1年の終わりに足立区に引越ししたあとも、土曜日の午後などは自転車にて須賀貨物線や尾久客車区、田端操車場のあたりをうろうろし、電車に乗れるようになってからは、尾久駅からとなり駅の赤羽まで東北本線の普通客車列車一ノ関行きや福島行きに乗って小旅行したのを手始めに、行動範囲を拡大していきます。

 宿泊のノウハウが出来てからは、飛躍的に行動範囲を広げローカル線区を中心に訪問開始。
 
 サラリーマン生活数年目に、山陰本線から旧型客車がなくなったときが一区切りで、以降10年程はデートしたり、結婚して子供ができたりで、写真もほとんど撮りに行っていません。

 山陰の旧型客車を駆逐した50系客車が、今度はされる立場に代わった頃、「古き良き日本の風景」とか「去り行くもの」、「なくなってしまうもの」を記録しておきたい気持ちが以前にもまして強くなり、そろりそろりと復活しました。

 千葉県に住居を構えて、幼少の頃より慣れ親しんだ自転車を手に入れてからは弾みがつき、子と嫁を放ったまま年に1回テント持参で自転車にて撮影旅行を行うようになりました。
 宅配便にて営業所止めで自転車を送付。
 仕事を終えて(民間会社)銭湯に直行、夜行バスにて現地に赴き引取り。
 2000年9月 下北交通と温泉三昧の旅の開始。 頭髪相当後退。




 テント、鍋釜、食料、寝袋、着替え、必要最小限のものを取り出しやすいように要領よくパッキングして重量配分しながら自転車に積み込む、不足があればすべて自身に降りかかる。

 飲用水の有無、浴場の有無も勘案して快適に一晩過ごせる場所の選択をしなければならない。暗くなるまでに食事の片づけまで出来るか、難点はあっても余裕を優先して設営すべきか、より良い場所を求めて先に進むべきか、100%自身の意思で決定できる自由。


 ほとんどの場合、より非日常を楽しみたいためにヒトのいるキャンプ場は避けますが、写真は例外的に国設薬研野営場にテント設営。


 まとわりつく霧雨のなか米をとぎ、テント内を整理整頓して、寝袋を広げる。
 一切の準備が完了したあと、自転車で数分ほどの距離の露天風呂に直行。






 下北、薬研温泉露天風呂。管理人なし。

 無料、源泉掛流し、24時間入浴可能。

 霧雨の中、一日中こぎ続けた成果。

 冷え切ったからだ、こわばった筋肉が歓喜する。 

 誰もいない。誰一人としていない。

 ヒバの木から発せられる強い香り。

 耳に入るのは、傍らを流れる川のせせらぎの音のみ。
 
 目を閉じ、呼吸も止めてみる 圧倒的な幸福感に包まれる。

 ポカポカになって、石鹸とヒバの香りに包まれて帰ってくる。テントの中で上から下まで、すべて乾いたものに着替える。

 本降りになってきたようだ。
 フライシートを叩く雨音。

 乾ききった寝袋にもぐりこみ、缶ビールを飲む。 これ以上の贅沢があるだろうか。


 さあ、もう何も心配することはない。火をつけさえすれば米は炊き上がる。おかずは大畑駅前のスーパーで買った、ワンカップ酒のガラス瓶に入った新鮮な地元産のなまウニ、1,780円。

 枕元には、明朝の朝食、パンの類、缶詰等々豊富にある。
 明日もずっと降り続くなら、このままテントから出ないで一日過ごしてもいいな。

 再び湧き上がる気の遠くなるような幸福感。




 雨は夜半にはあがった、夜明け前に再び露天風呂を使い、支度を整え出発する。 天気は良くなりそうだ。
 まっすぐに伸びていく道。 この先、どんな風景が飛び込んでくるのだろう。まっさらな一日が始まる。



 2002年9月 羽越本線 今川〜越後寒川間

 電車男にとっては夢のような野営場所のつもりだったのだが、
 夜を徹してコンテナ貨物が行き交い夢を見ることが出来なかった。

 夜半に大雨、落雷の荒天。飲めるくらい美しかった清流がご覧の通り。しかし地面は清潔な砂地で少しも泥濘せず快適。
 列車の通過爆音を楽しむことが出来るのであれば、高ランクの野営地。



 最近は、年をとってきたため車(ステーションワゴン)の屋根に自転車を載せて現地まで運び、日がな一日遊んだあとは、もっぱら車の中で寝るスタイルに変更。

 ここ2年ほどは(2007年現在)、木造駅舎が沢山残っている某鉄道を稲刈りが終わった頃に訪れ楽しんでいます。
 





 厳冬期はネイチャースキーもやっています。
 
 写真は記録的豪雪の06年冬、上越線土合駅よりさらに奥に入ったあたりにて、次男と交代で掘っているところ。
 積雪約3メートル。
 雪洞の中で沸かして飲むCoffeもまた格別です。




 最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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 「red50kei」は自身が楽しみながら作っています、更新のペースはとてもゆっくりですが、少しづつ充実させていきたいと思っています。
 
 どうぞこれからも「red50kei」に遊びにきてください。
 心よりお待ちしております。

 






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2007/03/14 red50kei