老桜とともに、夕暮れの真壁駅全景。

 駅は町の中心ではなく、線路を緩やかに大きく迂回させて東端に位置していました。
 

本屋と土浦方面ゆきホームとの連絡は、ホーム先端にスロープを設置して連絡させる方式ではなく、本屋正面に階段を設けておこなっていました。

 



 土浦を16時44分に出発した29列車は途中でキハ301を切り離して単行で17時40分(頃)真壁に到着。


 日曜日の帰宅列車。






 土浦方面のりばの待合室は堂々として立派な佇まい。


 




 



 真壁や北条、沿線町村の人々の生活のために、通学・買い物の足として70年余り走り続けてきた。

 今まで何回、土浦・東京への買い物客を運んできたのだろう。でも、週末の買い物帰りのお客さんを降ろすのも今日で最期。

 




 







霞む筑波山。

東京から直線でわずか55kmの距離にありました。


 



 お客さんも無事降ろして。出発のときを待つ。



 単調なアイドリング音だけが響く。

 




 



 岩瀬に向けて出発。

 ほころび始めた桜。
 満開の頃には列車は走っていない。

 




 

 



 見送るファンと地元の方々。




 





 折り返して来るまで時間があったので、構内をぶらぶらしました。


 オイルでべっとりと固まった道床。

 記憶には残っていませんが多分、強烈な「非電化ローカル鉄道の香り」がしていんだろうなあ〜。


 そおっと、べっとりバラストをビニール袋に何個かつめて持って帰ればよかった。時々、家族がいないときを見計らって引き出しの奥から取り出してはビニール袋を鼻元に当てて「スーハー・スーハー」今はなき筑波鉄道を偲んで「スーハー・スーハー」20年前にトリップすることが出来たのに。 

 残念。

 



 この側線はご覧のようにプラットフォームに接していませんでした。

 真壁での始発・止まり・折り返しは設定されていましたが、退避列車もなくホーム3面を利用する必要がなかったからでしょうか。

 廃線後、駅跡は整備されて当時を偲ぶことができますが、この側線のホーム側壁は整備にあわせて新たに作られてます。
 (廃線後との比較写真は のページをご覧ください)


 

 左の建物は土浦方面行きホームの待合室。



 



 早朝の真壁始発は土浦行きが2本、その後続けて岩瀬行きが2本、合計4本ありました。そのための留置線と思われます。





 



 さよならペイントを施された503

 左に草地が写っていますが、空中写真でみると大昔には貨物取り扱いの設備があったのではないかと想像できる、程よいスペースを見ることが出来ます。 




 



 今、もう消えんとする最後の空の明るさを背景に、転轍機の青いライトが幻想的で写したのですが、相当明るく写ってしまいました。ヒトの目では真っ暗だったのですが、写真の知識がないもので、「こんなはずではなかった」の1枚です。



 



 ところがどっこい、こんな写真もあるから面白い。

 土浦から乗ってきた763が岩瀬から折り返してきて、行き違いのため停車しているところを老桜と本屋とを絡めて撮影したもの。
 たまたまホームの外灯が763の正面を照らして763を浮き立たせ、かつ対向列車の前照灯がうまい具合に763の窓からあふれだし、さらに余分な脇からの余分な光はホーム先端で撮影している方々が遮ってくれてと、「数打ちゃ当たる」 の真骨頂のような写真。

 本屋で直立しているのは入線を待つ駅長さんでしょうか。 



 

  Lの写真の空は、これくらいの青色でした。⇒





 対向列車は504でした。

 このあと763に乗車して筑波鉄道をあとにしています。

 

 このとき乗車した真壁からの切符と車内補充券です、補充券取得のため最低運賃の切符を購入したようです。
 筑波鉄道とは関係ありませんが、2日後の国鉄の入場券と、3日後のJRの入場券です。当時は裏がシロでした。

2009/10/03 更新