その他 走行連続写真や台車など 


 
         キハ821の連続写真はこちらから(4枚)   キハ811の連続写真はこちらから(5枚)


キハ763を、821の連続写真撮影場所の反対側から撮影


 

 一方こちらはキハ811の通過後、常陸藤沢方向に向けて撮影。

 グリーンカーペットを切り裂き、光り輝く線路。



 

 酒寄⇒紫尾間 24.5km付近を岩瀬方向に向け疾走する500型 キハ503。


 どうして503と同定できるかといえば、503のみ台車の枕ばねがコイルばね(NA-6T)で、504と505は空気バネ台車(NA-302T)を履いていました。


 
 

 同じく岩瀬方向に向けて疾走する空気バネ台車を履いた505の流し撮り。

 この場所で三脚を立てて列車が来るのを待っていたら軽トラックに乗った田んぼの所有者が怪しげなやつが変なものを立てていると勘違いしたようで:軽トラックのまま乗り付けてきてきました。
 トラックを通すためにセットした三脚をいったん移動しましなければなりませんでしたが、その間双方まったくの無言でした。今であれば挨拶をして世間話のひとつでも出来るでしょうが、こんなことも思い出のひとつです。


 

 


 103系通勤電車が本格的に量産されはじめたのが1964(昭和39)年。
 水色の京浜東北線に初めて乗ったのが幼稚園のとき(昭和41年頃)、それまでは通勤電車といえば「唸りを立てて走る」床が木製の茶色の電車でした。(ウグイス色の山手線が走っていたことは知りませんでした)

 京浜東北線に斬新な顔立ちの高窓103系が颯爽と登場したのが、中学生の時(昭和48年頃)、屋根には「AU75」が載っかり「通勤電車に冷房がつくなんてすごい」と、感動したことを良く覚えています。


 余談ですが、冷房車が出たての頃、1編成すべての車輛が冷房車ということは珍しく、中間あたりに2輌を1ユニットとしてぽつんと編成に組み込んでいました。
 夏になると冷房車と非冷房車とでは、混雑度合いがまったく違っていました。
 また、クハ(先頭車両)が冷房車仕様であってもとなりの車輛が冷房車でないと、電源の関係だっように思いますが冷房が入らず、車掌に「どうして冷房を入れない」と結構な数のクレームがあったようです。当時の中学生の間では「混雑度合いの少ない編成両端の車輛に乗客を振り分けるため冷房車仕様にしてだましている」などといったことが結構本気で信じられていました。




 時は流れて2006(平成18)年3月17日、首都圏で最後まで残った常磐線の103系が引退しました。3編成20輌すべて台車はバネ式でした。

 片や、このキハ505は103系新製より4年も前の1959(昭和34)年製造にもかかわらず空気バネを履いています。当初の構想では冷房もつける予定であったとか。
 筑波山観光にかける期待の大きさがうかがえる車輛でした。



 真壁の陸橋の上から常陸桃山方面に向けて。
 道床の状態はこんな感じ。



 同じく真壁の陸橋上から真壁駅方向。




 急行型のキハ58を見慣れていると、客室ドアが車体両端に位置していないことが新鮮に映る。


 761の岩瀬方台車 菱枠型(NH-38)
 
 “台車(TR29・TR26)資料”はこちらから。



 









 キハ761の車内

 定員120名 座席数68(製造時は同104名 72名)

 土浦駅にて

2009/10/03 更新