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正面から見たときの車庫の全景です。




右端が本線。

水田の畦道からあふれ出した雑草が道床を覆い始めている。

現役電車の集合写真

左から
       モハ5261
       モハ5271
       モハ5253(手前)
       モハ5371(奥)
       モハ5372
       クハ3772(屋根銀色)
       モハ3310(奥)
欠席者は
       モハ5251(別所温泉方引込み線で昼寝)
       モハ5252+クハ292(お仕事中)
       クハ252(別所温泉引上線でお昼寝)
       クハ291(上田の留置線でお昼寝)   

もう少し左に寄って写せば架線柱が
かぶらずうまく処理できたのにと
悔やまれます。

左の折妻型二重屋根の廃車体は元信濃鉄道のホハ2(上田ではクハ262)とのこと。
鋼製車であればさび止め塗装のために”赤い”と納得できるが、木製車がなぜこんな色に塗られたのか。
現役のときから赤色を身にまとい
走っていたとか?

右のモハ5253両脇にある保守用の台は
洗車のためにも利用されていたのでしょうか。
否、洗浄を主目的とした洗車台でしょうか。

残念ながら、走っているところは一回も
見ることができなかった5260型 モハ5261。
昭和8年生まれ。
昭和53年長野電鉄からやってきた。


アシュピットはこのひとつだけでした。

お隣はED251を失職させたモーターカー。



左端には木造貨車が見え隠れ。

 どなたか一念奮起して模型化しませんか?

 大物は車庫のみですが、民家のようにガラス窓が
たくさんあって、雨戸があって、瓦があって
玄関だ、畳だと微細なところに神経を使わなくても
枠組みさえ組んでしまえば、削げ加工したSTウッド
を貼り付け、屋根用波板で挟み込んで大量複製した
アルミホイル製波板を載せていけばそれほど苦なく
形にはなるのではないでしょうか。
スケール自体大きいから手先に自信がない方でも
大丈夫ですよ。(たぶん?)
 むしろ、精緻な模型となるか、おもちゃとなるかは
風雪に耐えた削げ色と、錆びトタン屋根の色むらが
うまく表現できるかどうかです。

 線路は細いものを選択して枕木も多少手間でも
切り出しましょう、バラストも大雑把にしないで
場所ごとに変化をつけて。
 最後に残る小物たちこそ「全体を引き締めて
出来の如何を左右する最重要ストラクチャー」
と位置づけ、完成をあせらず時間をかけてじっくりと
楽しみながら製作(追加資料はこちらから)、配置
していきましょう。
 最後においた車輛たちは何倍にも映えるはずです。

 「言うは易し行なうは難し」

お昼寝中でもパンタグラフを上げておく理由は何かあるのでしょうか?

翌朝まで熟睡の、グリーン車のパンタは降りていました。

ここにも木造のダルマさんが倉庫として
使われていました。ワフのようでした。

この庫は線路が斜めから入っていたということが理由ではないと思いますが、正面から見て少し左側に寄って線路が敷かれていました。

大昔の写真を見ると二線式の車庫
であったようです。

「シブイ!」 

この車輛にしてこの庫あり。

内部の様子。

構内の立ち入り許可を口頭でもらっている
とはいえ、庫の中までうろうろしていい
はずもなく、”とはいえ入りたい”、ということで
大急ぎで撮影しました。
プリントが出来上がったとき意外にもきちんと
撮れていて、うれしかったことを覚えています。





冬期の整備はさぞ大変だったことでしょう。

反対側。

「早くしなくちゃ」という焦りのせい?
ボケているのではなく、ブレています。
貼ろうかどうか迷いましたが
まぁ、雰囲気を感じてください。

「車輛派」の方々には門前払いの
写真でしょうが...

構内で休息する丸窓電車の写真もどうぞ。

トロッコは保線で使ったのでしょうか。

ジオラマ製作時には軌道の油染み
の表現もお忘れなく。

構内のバラストと比べると、
清流の川原を思わせる
美しく整った本線のバラスト。

平日の早朝出勤から戻ると、
この定位置で翌朝まで熟睡。

このほかにも上田の留置線に
いたかもしれません。

前面に無造作に置いてあるのは不発弾ではなく、電車床下の「空気だめ」のようです。
元祖、レッドトレイン?
red50kei
上田電鉄(上田交通750V) 上田原車庫構内