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題目を「留置線と廃車体」としていますが、
「廃車体」については車籍のあるなし
といった話ではなく、見た目で勝手に
つけたものです。「留置線」についても
同様にイメージでつけています。

車庫の裏手に回れば水田が大きく広がっていました。

鋭い方はお気づきになったかも
しれませんが、 ABC の写真はフィルム
紛失のため、印画紙からスキャン
したものです。以降の DEFKLNPQ に
ついても同様で若干画質が悪くなっています。
ほかのページでも数枚あります。

唯一、全体が写っている260型クハ261
(左側)。
大正15年製造、長野電鉄より昭和55年に入籍。その際、クハ化された。
よってパンタグラフがない。


グリーン車の3310は3772とペアを組む前は3661(解体済)と組んでいた。
編成組み換え改造工事期間中、早朝の 中塩田→上田 の運用は赤屋根の5271と、この261で行っていたとのことである。

木製の電柱。

電車の写真を撮るには邪魔だけど
「ハエ叩き」もどきで結果雰囲気UPか。

改めて線路が細い。

碍子の数もすごい。

ED+サハ+クハ+モハ+廃車2台
雑草に埋もれたスポーク車輪多数

夢のような光景だ。

少し移動して車庫を一緒に

ED251

昭和12年生まれ、宇部鉄道の前身宇部電気鉄道
で活躍、昭和18年宇部鉄道を国が買収。
昭和35年国鉄富山港線より上田にやってきた。
36年入籍。

残念ながら線路は錆び付いてしまっている。
直近に動いたのはどれくらい前だったのか?
しかしながら、退色しているように見えてステップや手すりは真っ白で錆が浮いた様子もなく放置されているようには見えない。何事かあればすぐにでも運用につけるようにも見えた。

当初、丸子線で貨物輸送に活躍したが
44年の廃線後は、別所線にやってきて
貨物輸送廃止までの間、不定期で城下など
への少量の貨物輸送と工事列車
で使われていたようである。

60型サハ62 大正3年生まれ
運転台がない分、定員も多かったようだが、運用にあたっては如何せん終着駅での付け替え作業が必要で、機回り線のない頭端式の別所温泉駅での付け替えは「駅員がバールを用いて引き上げ線に移動させる」とか、「勾配を利用して自然流転させる」だの、「珍入換」として有名でした。


鉄道ピクトリアル84’4月増刊号 No.431
<特集>甲信越・東海地方の私鉄

長野電鉄色のまま昇圧を迎えてしまったモハ5271と同形のモハ611

「すんげぇ〜!」
としか言いようのない車庫側面。

羽板の削げ具合、屋根の色具合もさることながら
倒壊防止の補強支柱を飲み込んで増殖する
電車のドア製張り出し小部屋
作業所(物置?)の屋根を突き破って伸びる電柱。

軽便鉄道の車輛と言っても
通用しそうな小ぶりのモハ3122

現役の頃の写真を見るとヘッドライトは
2枚窓のすぐ上に付き、パンタグラフは、
いまどきで言えば PS22の如く超小ぶりの
可愛いやつが載っていました。




 《北総レールクラブ》
   http://hokuso.com/
     今月の大画像
       ●NO.73:上田丸子電鉄モハ3122・サハ41

       
に現役の頃の写真が掲載されています。 

木造貨車まであった

奥は   トラ301
手前は  ワ203

ご参考 「ト」⇒TRUCKの  ト
     「ワ」⇒WAGONの ワ

      トワイライト!?

開業してからわずか7年後の昭和18年
不要不急路線として休止、その後復活
することはなかった善光寺白馬鉄道の
ガソリンカーの一台 ゼ100。
上田丸子電鉄で電車に改造、最後は
モハ3121として生涯を終えた。

大正14年製 ワ203
国鉄時代にはワ7855を名乗る。

 自宅に相応の庭があったなら、書斎兼遊び部屋にもってこいのサイズではないですか? 内部は運転室と一部の座席は残してあとは大改造。
 赤じゅうたん敷いて、本棚置いて、ジオラマ作って飾って、机とパソコン置いて、ホームページ作成や鉄道サイト閲覧に飽きたら一杯やりながら誰はばかることなくHサイトも見放題。 物理的に独立した空間でしかも大好きな電車部屋となれば、もう引きこもってしまいそう。
 経年で外回りが痛んでくればHOゲージ車輛製作のノウハウすべてをつぎ込み愛情込めて手入れをしてやれば、車両の保全にも一役買えるし、 すぺてよしと思うのですが、もっとも本人が死んだあと処分に困るのは周りの者? しかしながら今はオークションという手立てもあるし、昔と違って遊びも多様になってきているから、個人レベルでも次の世代が車輛を引継ぎ、保存していくことは可能ではないかと結構本気で書いています。
 「内部はいじらず現役のままで保管すべき」なんて贅沢言っちゃだめよ、下回りはあったほうがいいけれど。

右の3両は足回りのない所謂
「ダルマ」でした。

有名だった「そえひ(傍陽)」
の駅名標。

夏草茂り、ところどころ水溜りあり、へび若干、むし多数。
水田側からのアプローチはなかなか勇気が要りました。

余生を物置として水田の傍で過ごす。

250型 クハ252は側面の窓が16枚。
両車輛はそれより3枚少ない。

結構車長があるように見えるが、
それは広角レンズで撮影したため。
の写真で見ればそうたいしたことはない
実のところグリーン車のモハ3310と
ほぼ同じ15,926ミリ。

上田電鉄(上田交通750V) 上田原車庫 留置線と廃車体