筑波鉄道 廃線後 比較写真
筑波鉄道が廃止になったあと軌道跡は全区間が自転車歩行者専用道路となりました。
正式名称は「茨城県道501号岩瀬土浦自転車道線」 通称「筑波自転車道」
愛称「つくばりんりんロード」、4メートル幅で総延長は筑波鉄道と同じ40.1キロメートルとなっています。
比較写真は2006(平成18)年3〜4月にかけて撮影したものです。
多くの廃線跡が自動車道路に転用されたり、公共事業の名目で原状回復が図られて跡形もなくなったり、転用が効かない箇所では放棄され荒れ果てた姿のまま野に還って、人々の記憶から忘れ去られ消滅していくケースが多いなか、筑波鉄道の軌道跡は地元の多くの方々が朝夕に散歩やジョギングで利用していること、週末にわざわざ自転車に乗りに来る方々が少なからずいること、今も桜の木を植え続けていることなどを考えると、こういった形で大半のホーム共々残ったことは本当に良かったと思います。
ただ、鉄道を趣味とする者としてひとつ大変残念なことは、「線路、駅舎が残っていない」ことです。願わくば、常陸藤沢駅の土浦寄りの駅舎横スペースに車輛庫を作って代表的な何形式かの車輛を格納して、行楽シーズンの時など年に何回か構内に移動展示できたとしたらどんなに素敵だったでしょうか。
保存コストは駅舎のメンテナンス、軌道の除草、車庫の管理、車輛もエンジンを放棄し普段は雨風のしのげる庫内で保管するのであれば、他の公共施設の維持費と比べても決して大きな額にはならないでしょう。(民間委託すれば尚更のこと)
その効果は、スポット的な集客云々よりも「在りし日の筑波鉄道が残っている」という精神面において、また筑波自転車道を広く知ってもらうためのインパクトのある媒体として、特定の場所にとどまらず、沿線地域全体に波及効果が期待できたのではないかと思うと、つくづく残念です。
田土部方から常陸藤沢方向
木製の「ハエたたき」は消滅してしまったが、コンクリート製の「ハエたたき?」は昔のまま。
「ハエたたき」が抜かれて桜が植えられた。
10年20年後が楽しみ。
地元の方々にとっては自慢の道となることでしょう。
常陸藤沢方から田土部方向
土筆がいっぱい生えている
上大島駅跡
筑波鉄道が廃止になったあと軌道跡は全区間が自転車歩行者専用道路となりましたが、全区間という言葉尻をマニア的につつくなら、新川に架かる鉄橋は撤去されてしまい鉄道橋ではありません、また常陸小田でも本来の軌道跡から迂回しているなど、その他の微細なものも含めると何箇所か完全転用とはいいがたい部分があります。
そのなかでも最大なものは、ここ上大島から酒寄までの区間でしょう。バイパス(緑色のライン)に転用されてしまって、いっくら想像力を働かせても軌道の痕跡・面影がまったく見えてこないからです。それでも酒寄駅は場数を踏んでいるトワイライターであれば、広く美しく(?)整備された道路の山側寄りに盛り土状のホーム痕跡を発見することが出来ます。
しかし、上大島駅跡は予備知識がないと特定することは難しいでしょう。
一番簡単な特定方法は、土浦から軌道跡(赤いライン)を上ってきた場合、
でいきなり途切れてしまいますが、 の交差点を右折し、 を左折して、 を直進して、 を左折したほぼ正面が駅本屋のあった場所となります。F より G 方向を見れば上記写真の G
の道路と送電線が20年(2006年現在)を経ても確認されるはずです。 F
の地点で足元を良く調べてみれば貨物駅のホーム側壁を見つけることが出来るかもしれません。
徒歩もしくは自転車でトワイライトするのであれば、軌道跡のバイパスを酒寄駅に向けて進むのが定石でしょうが、イマジネーションで遊ぶ余地のないバイパスを大型トラックの排気ガスを浴びて進むより
方向に旧道を進むことをお勧めします。廃線考古学はひとまず休憩して、生活感のある旧道をゆっくり進めば精神的リフレッシュが図れるはずです。まっすぐ1キロメートルほど進むと緑色のラインのバイパス に合流します。バイパスを横断歩道で渡れば軌道跡は専用自転車道 として復活します。ぜひおためしを。
紫尾方から酒寄方向
真壁の陸橋より常陸桃山方向
2009/10/03 更新