岩瀬駅
土浦から40.1キロメートル、75分あまりを要して終点岩瀬駅に到着です。
1985年(昭和60年)4月下旬くらいの撮影と思われます。
側線は錆びつき、もう随分前から車輛は入線していないことが一目で分かる状態ですが、それでも剥がされず往年の線路配線がそのまま残されていました。
土浦駅は実質単式でしたが岩瀬駅では島式ホームとなっていました。
入線を待ってすぐに発車するということも出来たはずですが、廃止直前のダイヤではとなりの雨引駅で日に3回交換してしまい岩瀬で交換することはありませんでした。
両線とも定期列車でふさがることはディーゼルカー主体になってからあったのでしょうか。
古めかしい誇線橋より奥(友部方)には停車しなかったのだろう、ホームの上もグリーンカーペット状態。
のんびりとした終着駅。
すぐ横には水田が広がる。
何ひとつさえぎるものがなく、のびのびと枝を伸ばす桜の木。
始発駅の土浦とはだいぶ様子が異なる。
タンポポの群生と一緒に。
桜の木は今も健在です。
(2006年4月現在)
1960(昭和35)年10月1日(※)から5年間余り、水戸線に乗り入れて下館で真岡線からの気動車を連結し小山まで直通運転をしていた時期があったそうです。
また、土浦口では行楽シーズンの上野〜筑波間の「筑波」号が有名でしたが、一時期、岩瀬口も常磐線日立〜筑波間の4両編成の臨時客車列車「つくば山」号の乗り入れもありました。
どのような手順で国鉄の線路に入っていったのか、機関車の付け替えはどのように行っていたのでしょうか。
※ 鉄道ファン148より(ピクトリアル157では9月20日との記載)
筑波鉄道の終点部分
ホームが終わると同時に車止めで線路が断ち切られるといった終点方式ではなく、錆びつきながらもまだ先へ延びていく線路。
しかし、やがて草の中に埋もれ、盛り土の中に没していくといったような、まことに趣のある終点でした。