上田電鉄(上田交通750V) 250型 クハ252

中野駅

250型 クハ252です。

290型や3770型と同様に制御車だったため
制御電動車(5370型)とペアを組んで総括運転
をしていました。

「丸窓」とペアを組んでいた290型、
3770型+3300型のペアも
制御車のほうが車体が長く、
「チビがデカイのを引っ張っている」と
3300型のページで表現しましたが、
このペアは5370型が17,030ミリに対して
250型が14,440ミリと、昇圧直前の
上田交通にあっては
少数派に属していました。

上田駅

昭和12年製造、31年入籍
もともとは気動車であったとのこと

別所温泉側の台車↑

             上田側の台車→

別所温泉側台車のセンターが、上田側に片寄っている。 もと、動力台車の証しだそうだ。

ED251が↓

250型を、構造上、法規上客扱いをして
牽引できるかどうかは知らないが、もし
本線上をゴロゴロいわせて定期運用
していたら・・・

中野駅上田方より

同じ駅を同じ方向から、
線路またいで、若干望遠気味で。

すこし印象が変わってきます。


 前方には優しげな里山が迫り、その後ろには急峻な深山を思わせる山並みがうっすらと見える。平野の中にあって、ここだけはちょっとした木立に囲まれていて、独立した異空間のようである。
 ずーと昔に造られた短い石造りの乗降所、
その上には、古レール2本を張り合わせたさび色の架線柱と、笠のついた裸電球の照明、4人も入ればいっぱいになってしまうガラス窓のついた小さな木造の待合所がある。長編成の電車はもう停まることがないのかもしれない、今にも崩れ落ちそうな木造の増設乗降場が手前に伸びている.
これらは随分と永いことこの場所にあったため、周りの色彩と同化してしまって建造物というより、この地そのものとなってしまっている。
 わずかに、S字を描く線路。カーブ外側には
木製のレール押さえが設置されている。線路の中心部に向かって侵攻する緑の生命。手前の道床はすでにグリーンカーペットのようだ。
 それでも線路は鈍くはあるが輝いており、その上には白と紺色に塗り分けられた2枚窓で大きなヘッドライトを屋根に載せた古くて小さな電車が、きのう、おととい、木枯らし、案山子、入道雲、新緑と、幾度も季節は移っても、いつもと同じ時間にコトコトやってきて、いつもと同じようにゆっくり
去っていく、あとは残るのは、前方には
優しげな里山、そのうしろには....

雨に濡れた線路とバラスト

5250型のページでみせた城下駅とは、
また違う雰囲気を醸しだしている。

"Rail Magazine No23-1985"
の写真では右に傾いていたが、
ここでは左に傾いて走行。

5個あるベンチレターが写っていない
余程小型なのか、
晩年の筑豊50系客車のよう。

250型とはぜんぜん関係ないが、
このガード下、どんな車両が
通行していたのだろうか。
ヒトだって屈まないと通れやすまい。
それでも舗装されているところが面白い。

中塩田

半室片運転台ゆえ眺望抜群
窓を開けることはできたのかな?

雨降りの"夕方"、別所温泉に向けて
中塩田をあとにする。

雨降りの"夕暮れ"、
別所温泉からの折り返し。

濡れた線路が前照灯を受け
反射する。

「さようなら クハ252」

城下駅上田方

側面の小窓が
2+1+10+1+2=ドア窓入れて計16個

雨の夕暮れ。
駅の灯も刻々と存在感を増してくる。

家路へ急ぐ高校生。
降車したお客さんも皆、足早に帰路につく。
交換時の一刻の賑わいも警報機が鳴り止んだ後はまさに静寂そのもの。

自分以外誰もいない。みんな帰るべき場所に
帰ってしまった。
あと何本か撮るつもりだったけれど
もう帰ろうかな。

旅先での
「胸の奥から"じくっと"湧いてくる寂寥感」
というのも今想えば若いときの特権かな。

写りが悪くて申し訳ないが、台車の
中心位置が異なっているのが改めて
確認いただけるだろうか。

もし、「目が不自由な方にこの情景を理解してもらうとしたら」
として書き並べてみましたが、どんなに字句を並べても到底
伝えきれるものではありません。