丸窓電車 5250型 


 終着駅別所温泉駅を望む。
 
 平安時代の記録に残されている、歴史ある温泉です。
 昔ながらの和風な温泉街には3箇所の共同浴場もあります。
 電車に乗って山あいに位置する温泉街の「ぶらぶら歩き」、「共同浴場めぐり」など、1921(大正10)年6月17日川西線の終着駅として開業して以来、変わらぬスタイルです。

  別所温泉駅を出発してすぐ、滑り台のような急坂を駆け下る上田行き5250型。

 25,000/1の地形図で見ると八木沢駅の標高が凡そ502m、別所温泉駅が552m、高低差50mを概ね1,480mの距離で結んでいます。計算すると区間平均は33.78‰(公式には36.1‰)ですが、写真の直線区間は約10mの高低差を250mほどの距離で敷設しているため、40‰ということとなります。
 箱根登山鉄道の箱根湯本〜強羅間の平均が50‰なので結構な勾配です。

 段々畑に沿って直滑降する電車って、他所で見たことありますか?


 上田交通といえば“丸窓電車”

 1927(昭和2)年日本車輌製造株式会社 名古屋製作所にて3両同時に製造され、翌1928年5月22日付けで上田温泉電軌株式会社 川西線に入線しました。
 以降、線名が別所線、会社名が上田電鉄、上田丸子電鉄、上田交通と変わっても3両全車が別所線(上田〜別所温泉(信濃別所(※))11.6kmを往復し続けました。

(※)別所温泉への駅名変更は1930(昭和5)年1月




 稲刈りの進む水田の中を温泉帰りの客を乗せて山を下る丸窓電車。

 温泉電車とニッポンの秋。


 刈り取った稲を逆さにして、棒にまたがせて吊るしているのは天日干しのため?

 天日干しと機械乾燥では米の味が違う、だから農家が自分で食べる米は多少手間になっても天日干しにする、と聞いたことがあります。
 そうだとすると、どこもかしこも自家消費の水田ということになってしまいます。

 今でも秋になるとこの光景は見ることができるのでしょうか。


 稲株(稲の刈り跡の株)の並びも美しい。


 八木沢の集落。

 家が密集しているものの、どの家も立派で樹木も随分あります。都会とは違って“ゆとり”を感じます。

 踏切は別所温泉と神畑駅(上田方面)とをショートカットする県道です。
 警報機はセンターポール頂上に鐘を備える「打鐘(機械)式警報機」のようです。



 踏切にかかる丸窓電車。

 踏切を越えてしばらくの間、生活道路を左に従え直進します。緩やかに左カーブすると別所温泉街から下ってきた湯川 (別所温泉街では別名「相染川」)を右から左にガーターで過ごし、踏切を越えたところが八木沢駅となります。


(八木沢駅の上屋が写っています)



 城下方より撮影。 奥が上田駅となります。
 千曲川に架かる「千曲川橋梁」を撮影。 右が上流、左が新潟県に入ると信濃川と名称を変え、日本海へと続きます。日本一の長さを誇る河川の上流にあたります。

 秋雨を集めて増水気味な千曲川を下路式平行弦プラットトラス橋 5連で渡る別所温泉行き電車。
 架橋により1924(大正13)年8月15日上田まで開通しました。

 5250型の入線は1928年5月なので、鉄橋のほうが4年ほど古いこととなります。
 

 背後には煙る山並が連なる。


 上田駅から約800m、千曲川橋梁を渡った土手下に城下駅はあります。
 城下駅に進入するモハ5253。

 年季の入った木造の待合所。
 ホームの増設部分も木造。
 古レール利用の架線柱。
 碍子だらけのワイヤーで張られている架線。
 ダルマ式転換機。
 2色信号。
 
 そして交換駅。



 城下駅はこちらから

 



 城下駅に停車中のモハ5253。
 従えているのは290型。

 丸窓電車は入線時には、デナ201〜3と付番。その後モハ201〜3を経て、モハ5251〜3に変更されました。
 集電装置は新製時はポール方式だったもののパンタグラフ2基に換え、別所温泉方の1基を撤去しています。 


2色式信号機と5253。

信号機を後ろからじっくりと眺めたことってなかったですが、コンパクトにまとまっていてやたらと美しくありません?
1っこ欲しいなぁー

手前の側線はどこに続いているのでしょうか
安全側線じゃありません。進行方向とは逆なのだから。

答えは、290型のページで。



 雨の城下駅での交換。

 右が5253。
 温かみのあるヘッドライト。
 雨に濡れた線路にヘッドライトが反射する。




 中塩田駅を発車した上田行き5253。

 塗色は当初、濃い赤茶色で塗り分けはされていませんでした。 紺と白の塗り分けに変更されたのは1954(昭和29)年頃だったようです。



 14,719(L) 2,591(W) 3,785(H)
 座席40人、立席60人 合計100名
 自重32.7t

 中塩田駅 上田行き。


古レールを再利用した架線柱
(下之郷〜中塩田間 中塩田方から下之郷を望む)

「同社の架線柱は、恐らく廃止された青木線等から発生したと思われる。アメリカ製の40ポンドASCE型レールで作られている。1904年〜1915年製のカンブリア、イリノイ、カーネギーのものなどが見られる。」(鉄道ピクトリアル'88・9月特大号(500号)より)



 右へ・左へと体を揺らせて。

 架線がパンタグラフのすり板ぎりぎり。



 リベット! 


 還暦の、しかもトラス棒のついている車両なのに車体の側面最下部が真っ直ぐです。

 



 本線を走行する、モハ5252。
 上田原車庫から撮影。
 



 唯一「モハ5251」の写真。

 5251と5252は別所温泉駅の引き上げ線跡に保管されています。
 また、5253は長いこと中塩田駅引込み線に置かれていましたが、現役の頃同様に(それ以上か)美しく整備され長野計器株式会社で保管されています。(2005/11月現在)