休耕田になってしまった段々畑。
でも、滑り台のような
勾配は変わらず。
引き上げ線跡には5251と5252が。
本線上は「まるまどりーむ号」
「天日干しの光景は今でも見ることが
出来るのでしょうか」と 5250のページで
書きましたが、家族総出で稲刈りをする
光景は塩田平に限らず随分と減って
いるようです。
大型の機械を使ってあっという間に
一年の成果を運び去っていきました。
収穫の終わった田んぼには稲わらだけが
機械的な正確さで残されています。
と、思いきや電車の奥に天日干し発見!
自家消費用でしょうか。
ペンキが新たに塗られて当時よりきれいに見える中塩田駅。
むかしと変わらなように見えますが、よく観察してみるとかなり痛んできているようです。この先20年後に残っているでしょうか。
中塩田の引込み線。
倉庫は跡形もありません。
線路は草に埋もれつつも
存在しています。
「雨の夕暮れ
家路へ急ぐ高校生」
「ヒトだって屈まないと通れやすまい」
と書いたが、桁下2メートルあった。
普通の乗用車ならラクラク通過できる。
当時、スーパーカブに跨った農作業帰りの
老人が徐行して、くぐっていった記憶が
あったのだが?
愛車と供に。
「前方には優しげな里山、その後ろには・・・」
むかしとおなじ、なにか
”ほっとする”雰囲気は健在。
しかし、立派なコンクリート製の架線柱や太い線路、金属光を放つ電車は
違和感のない風景ではあっても
「周りの色彩と同化してしまってこの地そのもの」
というわけにはいかない。
中塩田と塩田町との間に何本か古レールの
架線柱が残っていた。随分風化しているが
「CARNEGIE」、「U S A」「1915」「4040」
などが読み取れる。
木製のレール押さえは健在。
18年ぶり、2005年稲刈りの時期に
再訪しました。
鉄道の持つ雰囲気はそれほど大きく変わって
いないように思えました。
しかし、田んぼの真ん中を貫く片側二車線のバイパス、
忽然と姿を現す24時間営業のスーパー。
自動車への依存は加速するばかり。
上田電鉄に限らず今後、地方の鉄道は存在意義を
見出していかないと非常につらくなるだろう、ということを
改めて感じざるを得ませんでした。
250型のページ