@ 列車本数の推移とダイヤグラム
開業当初、伊集院〜加世田は1日5往復。全盛の昭和10年代を経て、戦後の昭和24年2月には枕崎〜鹿児島間を国鉄客車4両編成で直通列車を2往復運行開始する。
昭和29年11月、キハ300型による西鹿児島までの直通運転開始。昭和30年代の黄金期を迎える。
黄金期終盤の昭和35年と、陰りの見えてきた昭和40年代から廃止までを手元にある資料(軌跡、ピクトリアル434、時刻表ほか)をベースに簡略にとりまとめてみました。
「国鉄・JR・私鉄 乗入れ列車ハンドブック」に転載されていた「「中国九州篇 時刻表」昭和35年7月号(弘済出版社)」より作成しています。
※阿多〜加世田間の知覧線直通列車 5往復の時刻は「国鉄・JR・私鉄 乗入れ列車ハンドブック」に転載されていなかったため表記しておりません。
因みに「レイル No.25」に転載されている昭和35年10月(欄外に 35・8・1現在 の表記があります)の知覧線の時刻は
加世田発⇒阿多発(6:30→6:58、12:20→12:26、14:45→15:00、17:24→17:36、19:46→19:58)
阿多着⇒加世田着(7:52→7:56、9:10→9:15、13:50→13:53、17:18→17:23、19:07→19:20)となっています。
よって上記表の阿多〜加世田間に10本の近時刻(もしかすると同時刻)のスジが入るものと想像します。
また、貨物(専用)列車は伊集院〜阿多間に3本、加世田〜枕崎には2本設定されていたそうです。(表記しておりません)
阿多〜加世田間には貨物(専用)列車は設定されていませんでした。混合列車にしていたものと想像します。
※鹿児島駅発着の2本については鹿児島着8:06、鹿児島発17:34の表記しかないため、伊集院〜西鹿児島のスジは発着とも想像で引いています。
(西鹿児島〜鹿児島間は3.2qで所要時間約5分ですが、西鹿児島駅において何分かの時間調整を行っていたのではないかと想像したためです)
以下からは手元にある時刻表から作成したものです。 特徴のあるダイヤだということで選択したわけではありません。
「JTBパブリッシング刊「JTB時刻表(1983年3月号)」より転載」
鉄道廃止月のダイヤ。
加世田豪雨で加世田〜枕崎間は鉄橋損壊や道床流失で不通、伊集院〜日置間も大田トンネルの漏水により旅客運転を行わず代行バスで運行。
赤線が列車による運行、黒点線が代行バスでの運行をあらわす。日置〜加世田間でもバスでの運行がある。
伊集院〜西鹿児島間の国鉄線区間はキハ300型により運行されていた。
キハ300が加世田でメンテナンスするための回送列車のみが伊集院〜日置間を運転。
3月18日からのバスダイヤ。好き勝手なところで交換している。
伊集院〜西鹿児島間の国鉄線区間のスジは、18日以降も国鉄の車輛で運行していたのかと思っていたら時刻変更すらなく完全に消滅していました。
因みに、時刻表で鹿児島本線(出水―鹿児島)の欄外では「59.3.21訂補」との記載です。
更なる興味のある方は、レイルNo.25に時刻表からの昭和28,31,35,38,40年など8年分の転載があります。
2006/12/19 公開
2007/01/09 1960年ダイヤ、運行系統図追加、および説明文改訂
2007/09/18 列車本数等推移表改訂
2008/06/11 誤字訂正(多布施→多夫施)