鹿児島交通(南薩鉄道)-Main                                                                                      


 南薩鉄道は1914(大正3)年4月1日に伊集院〜伊作間、39日後の5月10日には伊作〜加世田間、その2年5ヵ月後の1916(大正5)年10月22日には加世田〜薩摩大崎町(1941年5月薩摩万世に改称)間31.6qを開通させました。さらに1931(昭和6)年3月10日には加世田〜枕崎間を開通させ、本線となる伊集院〜枕崎間49.56qが完成しました。1943(昭和18)年4月22日には薩南中央鉄道の阿多〜知覧間16.28qを戦時陸運統制令により吸収合併し総延長68.4qの長大な非電化路線を一元的に経営するにいたりました。昭和30年代初頭までは枕崎および薩摩半島西側地域の重要な物流路線として経営も順調に推移しましたが、過疎化・道路の整備が徐々に進むなか1962(昭和37)年1月15日に万世線を廃止し、1964(昭和39)年9月1日には三州自動車との合併で社名から「鉄道」を廃して 鹿児島交通 と社名変更し、1965(昭和40)年11月15日の知覧線廃止、昭和40年代前半には強力な合理化を推し進めていきましたが、加速する自動車への移行、止まらない過疎化により最盛期には10,000人余りあった一日平均利用客数が昭和47年度には4,000人程度、56年度には2,100人余りと激減するにいたり、ついに廃止を協議している最中の1983(昭和58)年6月21日に発生した加世田豪雨により壊滅的な被害を受け、一部区間は20日後に区間運転を開始したものの、被災区間復旧の巨額な費用見積もりにより廃止が決定され、翌1984(昭和59)年3月17日限りで細々と続けられていた日置〜加世田間での区間旅客運転が取り止められ、伊集院〜枕崎間全線が廃止となりました。

 1980(昭和55)年3月21日の伊集院から枕崎までの乗車と、加世田豪雨3ヶ月前の1983(昭和58)年3月に3泊3日で全線(知覧線を除く)をほぼ歩き通したときの2回の記録です。初回は友人より借りたカメラ、2回目は自身が購入した初めてのカメラで、いずれもレンズは50ミリ単焦点での撮影です。拙い写真ばかりですが最後までお付き合いいただければ幸いです。

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参考資料  鉄道ピクトリアル No.127 173 308 328 360 419 434
        鉄道ファン      No.184 246 264 280
        鉄道ジャーナル  No.154 194
        Rail Magazine   No.5 153
        RM LIBRARY    鹿児島交通南薩線-南薩鉄道顛末記
        鉄道模型趣味   No.104
        レイル(THE rail)  No.25(南の空、小さな列車(上))
        軌跡−南薩鉄道70年 (鹿児島交通株式会社)
        鉄道廃線跡を歩く V
        消えた鉄道を歩く (堀 淳一著)
        NHK文化シリーズ 生活のなかの日本史 風雪の鉄路 〜ローカル私鉄史〜 「鹿児島交通」(NHK画像)
        600 こちら 情報部 「幻のSL発見! 〜鹿児島交通枕崎線〜」(83/10/10放送 NHK画像)
        鉄道写真館南九州の鉄道を訪ねて 南薩線資料室 「地元の新聞記事から」(http://homepage2.nifty.com/~naka-chan/)

        有木道則氏所蔵 南薩鉄道 関連資料
        他