多少昔の鉄道写真を中心とした、数打ちゃあたる方式で撮った
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2階建て新幹線


定期運用終了 2021/10/01
(10/17のイベント完了をもって完全引退)

朝の通勤。
いつもの時間に日暮里駅で常磐線を降り、跨線橋を渡って京浜東北線ホームに降り立つと、ほぼ ズレる “ことなく”北国発2階建て新幹線が上野トンネルに向けて下ってくる。
アリゲーターガーの如き顔立ちは不細工で、不格好な縦長新幹線は嫌いな車両の筆頭だった。

効率的大量輸送。
即ち、鉄道会社が収益の最大化を目論み投入した車両は期待通り優良な採算を実現したかもしれない。
しかし、利用者利便から考えれば時間当たり1本の2階建て16両編成のスジよりも、フラット8両編成であっても時間当たり3本運用の方が使い勝手は良いにきまっている。
鉄道会社の利用者二の次思想、露骨な利益優先方針とも相まって嫌悪の対象だった。

ところが、ひょんなことから埼玉熊谷市近郊に引っ越すこととなり、毎日新幹線通勤することとなった。
勝手なもので、眺めるのと、自分が乗車するのでは感情が180度変化する。
相変わらず外観は好きではなかったが、防音壁を俯瞰する2階の横長窓を存分堪能できる座席に着席すれば、秩父鉄道線とのクロス・四季の田畑・ニューシャトル・大宮工場・混雑する埼京線、高崎、東北線・下十条電車区・都電・尾久操車場・田端留置線・秋葉原と神田のビル群を睥睨し・東京までの40分間はまさにグリーン車気分。
帰路はリクライニングできる4号車のベストシートにほぼ10割着席し、上野トンネルに入るころは大概熟睡・・・。
5年間ほぼ窓際に着席して “40分×往復” 至福の時を過ごした。


復路  王子〜東十条間の在来線を俯瞰
幕は赤文字の “修学旅行”

その間も輸送環境は労働人口の減少が進行し、詰め込み大量輸送から、ゆとり・高級・更なる高速化へと変化していく。
狭く曲がった急階段の上り下りを伴いながら朝の通勤時間帯ですら3列シートが埋まることがなく、かつ最高速240qしか出せない無骨な車両は、より高性能で洗練された新型車両に換わり始める。
製造より20年強、2階建て新幹線は2020年3月での全廃が発表される。
ところが廃車予定半年前の2019年、台風19号がもたらした河川氾濫は、新型北陸新幹線車両10編成120両すべてを廃車に至らしめる大事となった、不足した北陸新幹線に上越新幹線投入予定の新型車両が振替充当され、追加新製に要する期間まで2階建て車両の運用は延長されることとなった。

廃車先送りとなったものの、自身の2階建て新幹線通勤については、2020年3月の時刻改正により利用していた朝のスジから運用離脱し、帰路についてもコロナウイルス罹患リスク軽減時差退社によってスジが合わなくなり乗車することはなくなった。
そして、1年半に亘る運用延長も、あらためて2021年10月1日に定期運用終了とのアナウンスとなった。
“6年に亘りありがとう”という気持ちはあったが、撮影に出向いたり、乗り納めしたいとまでは思わなかった。

そんな矢先、財布を忘れていつもよりも30分後の新幹線に乗る羽目となった。
入線してきたのは本当に久しぶりの2階建てだった、ラストランまであと1週間、期せずして本当に最後の乗車だな、との感慨をもって東京までの40分間ベストシートで堪能した。
下十条電車区の車庫が解体されていた。
北王子貨物廃線跡の踏切警報機とレールが撤去されていた。
E7系の車窓からでは分からなかった風景が新鮮だった。
10月1日以降、2度と見ることのできない車窓風景だった。
雪景色も含めて、何度か40分間の車窓風景を録画している。
心残りは無いはずであった。
熊谷〜東京駅間は。


秩父鉄道三ヶ尻駅の俯瞰・・・。
かつて全国の国鉄・私鉄に散在したセメント工場のヤード。
地上からは工場が道路に接していないこと、加えて高い塀で囲われているため、撮影が叶わない秘密のヤード。
本庄早稲田〜熊谷間乗車の機会があれば、オーバーパスする車窓からヤード全体を俯瞰撮影したいと考えていた。
2020年12月31日付で熊谷貨物ターミナル〜三ヶ尻までの区間が廃止され、線路撤去作業がヤードへと刻々と迫るなか、現役時代の線路配線を撮影できるチャンスは1週間後に永遠に失われてしまう。

どうする。
気持ちは重い。
正直わざわざ面倒くさいし。
高速通過の車窓からうまく撮れる自信もなく、この年になって酔狂なこととも思いながら・・・。

結局翌週の通勤を、自動車で本庄早稲田まで乗り付け、車内に連写音を響かせた。
出来は60点で、翌日の出勤でも連写音を響かせた。
やっぱり深みに嵌った。そうなると予想していた。だから気持ちが重かった。
更に翌日は出社日ではなかったが、熊谷までの往復切符を買って三ヶ尻駅俯瞰撮影のためだけに乗車した。
ラストラン前日までに、結局3日間3往復して80点程度の写真が叶った。
満足した。
外観は嫌いだったが、重量感を感じる乗り心地と、俯瞰風景は本当に素晴らしかった。

“お疲れ様でした” 2階建て新幹線。


鉄道会社ビル壁面に写る2階建て
(奧はE2)


通勤利用区間ではなかったが、撮影のためだけに3日間きっぷを購入し、2階席車窓から 三ヶ尻ヤード を俯瞰する




地上からだと、これが精一杯
他3方向は、奧が築堤、両サイドはブロック塀に阻まれ、盗撮モドキしない限り撮影は不能



高架橋は新幹線軌道。
高〜いブロック塀の下に2段重ねガードレールが


にゃ〜ん! 年甲斐もなく 盗撮モドキ


煙突がセメント工場
「熊タ」 ぐちは廃止されたが、「武川」ぐちは健在
日に9往復の電気機関車牽引20両編成の黒貨車が往復する
(撮影するなら早めに 無くなってからでは撮りようがない)
背後は赤城山




2階席より俯瞰する秩父鉄道線の羽生行き急行電車
熊谷駅発車直後


高崎線をオーバークロス


次に新幹線をアンダークロス


さらに国道17号もアンダーする


撮影タイミングは秩父線の発車が定刻より若干遅れないと実現しない
加えてシートポジションや天候とも合わせて、ベストでの撮影チャンスは少なかった


ほどなく実施された秩父線と新幹線のダイヤ改正により会遇するタイミングは失われた
次いで、2021/03/15の秩父線ダイヤ改正で熊谷〜羽生間から急行運用が廃止され、
この西武鉄道改造車は(イベント等を除き)当該区間への入線はなくなった
そして、その約半年後に2階建て新幹線も廃止された
(上記6枚 動画からの落込画像)
(これくらい離れてくると E7系 の車窓からでも(現在でも)撮影可能)


ニューシャトルの車庫
東北新幹線の高架がどんどん寄り添ってきて、合流する直前に設けられている


大宮駅到着前 高崎線と埼京線をオーバーバス
バスしたあとは鉄道博物館をすり抜け、続いて大宮工場のなかを進んでいく
工場敷地に屋外トラバーサーは2台確認できる


2階席からのヨコ目線はプラットホーム吊り下げ駅名標を若干見上げる程度の高さ
ホーム設置飲料自販機の天井部分は余裕で眺められる
4本前路を跨いだ最奧18番線にも2階建て新幹線が入線



14号車辺りに着席すれば、工場に入場している電車をホーム停車中にじっくりと眺めることが出来た
上越線水上を走る蒸気機関車が検査明けで65に連結されて出発待ちしている場面も何度か遭遇した(撮影してないけど)
大宮駅発車直後
・昔の線路が剥がされ、工事車両のヤードに変えられた
・中央の草生した切り通しは機関区へと続いていた線路


 
長い間、小規模ながらも水色電車の下十条電車区として馴染みある車庫だった



 左 須賀線跡 木立手前で日産化学や東セロへ至る本線と北王子駅が分岐していた 左手高層集合住宅の奧辺りが北王子駅だった 
右 都電荒川線 旧27系統(赤羽〜三ノ輪)、旧32系統(早稲田〜荒川車庫)の2系統が走っていたが、王子〜赤羽間が廃止され早稲田〜三ノ輪間の荒川線として統合された

在りし日 ワム時代の北王子貨物駅 (1985年前後)
隠れた桜の名所でもあった
(スキャナー操作面倒だったので アルバムを撮影)



赤羽でオーバーし、再度王子で東北・高崎線をオーバー
草生した右2本の線路は旧尾久客車区の引き上げ線
利用される客車がほぼ在籍していない現在草生すのは道理


急行客車終焉の頃以降しか知らないが、
ハコ組み換えのため、黒煙を勢いよく吐きながら一つ目のDD13に連結されて旧型・10系・20系客車が頻繁に入線していた
特急ブルートレインも消え 現在はほぼ休止状態
(2011/11撮影)


半年前に定期運用終了となった185系が留置されている 尾久車両センター


ブルートレイン全廃後も何両かが留置されていたが、今外から確認できるのは3両のみ


185は、こんなカラーもあった
(おまけ)


田端の電留線 (東京新幹線車両センター)



新幹線留置線の奧は、交・直・内燃機のたまり場
毎日出入りがあって、国鉄色の65が3両も並ぶと見応えがあった

最近レール運搬車が留置されるようになった



ガラスに写り込む2階建て新幹線



「指」表示されているが、繁忙期を除く朝夕の通勤運用2階建てはグリーン車以外全自由席となる運用が多かった
※で「自由席となる場合があります」と注記されている
シートについては、自由席車両は1階席はリクライニング可能だったが、2階席はリクライニング不能シートだった
往路(朝)は1号車2階席に乗車したが、混雑していたり前夜寝不足の時はリクライニング可能な1階席を利用していた
復路(夕)は4〜6号車は指定席仕様車両だったが、自由席となっていたので2階席でリクライニングして利用していた


3日目 (定期運用終了前日)
三ヶ尻駅撮影のためだけの理由で本庄早稲田〜熊谷間を乗車した
復路 熊谷駅にて 
フル16両編成が最後の乗車列車となった


本庄早稲田駅に到着


新潟に向けて発車し、加速する2階建て
本線との合流地点まで望遠撮影して完結のはずだったが
サプライズ



並んだ !
実は調査不足で、帰宅後調べてみたら1分のズレで発車する定期のスジだった
想定外

 
というわけで、想定の写真に加えて
(恐らくだけど、駅員さんを除いてホーム上にいるヒトは鉄道ファン達、
普通のヒトなら乗換駅でもないのに発車後のホームに留まる必要ナシ)


期せずして下回りまでの撮影が叶った (真っ黒に潰れているけれど)


ゼロ系新幹線のような横長窓


後方の席からは俯瞰はもとより進行方向の眺望も素晴らしかった





「サヨナラ」シールが貼られていた


あらためて ありがとう お疲れ様でした





C58-363 
1944(昭和19)年2月19日製造


 77歳 喜寿
日章旗掲出 特別運行


フロントも両サイドもテンダープレートも紫色の特別仕様


爆煙は魅力だけれど
静かな煙も品がある


夜行急行“三峰53号”崩れ快速列車運用後の入庫回送列車
快速運用後もヘッドマークは急行のまま


可愛い 単行


2021年 定期運用LAST RUN


夕日を受けて


2021年 師走
昭和の青梅線を彷彿とさせる風景
茶色の旧型国電がやってきそうな雰囲気
平成の現在も秩父では日常風景


2021年の蒸気機関車定期運用は終わったけど、
公表ナシで201をぶら下げてやってきた


本線上で電気機関車同士が正面向いて並ぶのは珍しい


とはいえ、201はぶら下がりなのでパンタは畳まれた状態


しばらくすると
(警報音が鳴り出す前の踏切通路内から手持ちで撮影)


両パンタで蒸気機関車をぶら下げて戻ってきた


前照灯点灯蒸気機関車と尾灯点灯電車との交換は珍しくないが、
逆パターンはなかなか見ることが叶わない


元都営地下鉄と交換完了し、
車庫に向けて発車する201牽引客車回送列車


機関車を多数保有し、客車牽引に充当できることも魅力


“ヴオォ〜ン” 唸りをあげて通過


後部標識姿のC58-363
鉄道模型機関車のよう


2022年 First Run


強風で煙が横に流れる


似たような写真ばかりだが、
煙のなびき方如何で印象が変わるところが、
電気機関車にはない魅力でもある


2022年 2日目は日章旗ナシ


前日と異なり、ほぼ無風だったため、陽を受けた機関車と客車のサイドショットが叶った


シーズン Last Run
春までお休み


夕日を背にして


輝く201


ヘッドマークは つらら だけど
日向の交換


ヘッドマークは つらら ではないけれど
雪中の交換


若干の間引きはあったものの午前・午後とも運行された



“つらら” の季節も終わり、菜の花が咲き始めた
高崎での検査を終えC58が戻ってきた


2022/03/19 のFirst Runに先立ち、Test Runがおこなわれた
初日は煙立たず、2回目はそこそこ
もう春なので煙も盛大にらない





伐採し・刈り払い・剥がして・盛って、きれいに整備され、誰もが気軽に立ち寄れる場所となる前
案内看板も無く、待避線の道床もホームもレールも木々に飲み込まれていた頃
山の稜線から上った朝日を浴びて急速に消えゆく冷涼な空気を纏い佇む、山の給水塔






飛行機の時間調整で、ふと立ち寄った老駅。

雨降りの夕暮れ。
マニアも観光客も、列車待ちのお客さんすらいない。

ベンチに腰掛け、雨音だけの静寂のなか、
南薩線がにぎやかだった頃の駅舎を想ってみる。



ローカル私鉄は数あれど、
@国鉄でも死滅してしまったようなキハ07タイプ気動車の現役運用
Aレイアウトのような美しい配線の加世田駅、構内に放置された蒸気機関車、廃客貨車群
B廃屋と化した駅舎の数々、バラストが一切見えない道床、・・・等々
群を抜いて「ローカル」インパクトのあった日本最南端の非電化私鉄鹿児島交通(南薩鉄道)。
1983年6月21日の加世田豪雨により国鉄との接続区間である伊集院〜日置、加世田〜枕崎間で
旅客運転が出来なくなり、9ヵ月後の1984年(昭和59年)3月17日に復旧されることのないまま最期を迎えました。
集中豪雨3ヶ月前の1983年3月に3泊3日をかけ全線(知覧線を除く)をほぼ歩き通したときの記録です。
初めてのカメラでの拙い写真で、どこまで鹿児島交通(南薩線)の魅力をお伝え出来るかわかりませんが、
全駅掲載で「大特集」いたします。順次公開予定。


1914(大正3)年4月1日の開業より、70年間に亘り南薩地域の物流の要としての役割を担ってきた南薩線は、1984(昭和59)年3月17日に役目を終えました。
駅舎や鉄道施設は解体処分され、軌道敷も多くは自然に飲み込まれ、廃止から30年余りを経て在りし日の姿をそのまま残す箇所はほんの僅か、となってしまいました。
それでも、一部の車輛は南薩線を想い続ける方々の強い意思と計り知れない尽力により、解体を免れ、当時以上の美しさで今現在も大事に保管されています。
廃止から現在に至るまでの記録はほとんど知らていません。
今回貴重な資料を拝覧させて頂くことが叶いました。

保存までの道程をご覧ください。





上田交通(750V)   2005年11月3日公開
(2005年10月3日に上田交通は持ち株会社となり鉄道部門は上田電鉄に変っています)

鹿児島交通(南薩鉄道)   2006年12月19日より公開開始


筑波鉄道   2006年4月20日公開 2009年10月3日更新



蒲原鉄道   2006年8月6日公開 2010年6月13日更新

国鉄 岩井支線 大久野駅   2009年7月16日公開

秩父鉄道 三峰口駅終端部の先   2010年10月25日公開


番 外

五能線 津軽鉄道  2010年1月11日より仮公開開始


(読者の皆様より寄せられた情報です)

No1.

         更新記録、字句訂正  

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