キハ301 その後

 このキハ301 9ヶ月間しか筑波鉄道では活躍できなかった。
 しかし廃止後は多くの車輛が解体されたなか、幸運にも関東鉄道常総線に移籍できた唯一の車輌。

 元国鉄キハ30-16。


 と前頁(筑波鉄道 土浦駅のページ)にて記載しましたが、もう少し詳しく記すと・・・。

 鉄道廃止とともに一旦廃車扱いとなったものの、キハ503・504・505とともに4両が1987(昭和62)年4月26日から27日にかけて真鍋⇒土浦⇒友部⇒下館⇒関東鉄道常総線・水海道車庫へと回送されました。

 503・504・505には誕生を同じくした(1959(昭和34)年)、501と502の兄弟がいました。当初、筑波線で5両一緒に、急行つくばね号(土浦-常陸北条-筑波)、岩瀬〜小山の国鉄乗り入れなどで活躍していましたが、1963(昭和38)年2月に501が、同年4月に502が常総線へ移動(※1)となり、以降24年間離れ離れ(※2)となります。

 503・504・505は、昔のように501・502と一緒に活躍するはずでした。
 しかし、筑波鉄道のエースとして走り続けた車体は疲労が目立ち期待以下だったのか、また観光用も兼ねたセミクロスシートを501・502のようにロングシート化改造までして使う価値がないと判断されたのか、結局501・502の部品取車として扱われ、再び旅客を乗せることはありませんでした。
 因みに501・502はその後1991(平成3)年9月まで4年半ほど活躍しています。

 さて、前置きが長くなりましたが、本題のキハ301は気動車版101系のコンセプト(3扉・ロングシート・20m車)で製作された車輌であり、観光用も兼ねた503〜505より扉数が1組多いにもかかわらず定員は8名増の128名、沿線開発の進む常総線では効率性の優れた通勤型車輌として評価されます。

 その後、39両ものキハ30・35・36を大量増備(※3)するきっかけとなった車輌です。
 



※1 当時、筑波線と常総線は常総筑波鉄道(株)が有していたので線区の移動1965(昭和40)年6月、筑波鉄道(筑波線)と関東鉄道(常総線)は別会社となっています
※2 503・504・505は同じ会社の常総線水海道工場で検査を受けていた可能性があり、時々顔合わせはあったかもしれません
※3 キハ30(両運転台・トイレなし)16両、キハ35(片運転台・トイレあり)20両、キハ36(片運転台・トイレなし)3両、合計39両 (このほか部品取用にキハ36が2両)

                

2010(平成22)年4月 “小貝川サイクリング”のついでに水海道の車輌基地に立ち寄り、留置中のキハ301を撮影できたので公開いたします。
(左)キハ30-39 1988(昭和63)年 高崎にて     (中)1987(昭和62)年3月           (右)2010(平成22)年4月

 左のキハ30-39は16号と番号が近かったため、比較参考写真として貼ったもので国鉄時代の301ではありません。
 右は筑波鉄道時代より23年後のキハ301。
 各写真ともAエンド(付随台車側)です。

 キハ30-16は日本車輌製造鰍ノて製造、1964(昭和39)年2月28日落成、当初は大宮機関区に配置され1986(昭和61)年1月20日高崎第一機関区より筑波鉄道に譲渡、入線に際し国鉄の大宮工場で貫通部の手すり取り付け、行き先表示窓の埋め込み、塗装変更などの改造工事を受け同年7月29日に入籍しました。
 筑波鉄道廃止後、関東鉄道の水海道工場にて(旅客自ら操作する)半自動ドア装置の撤去などがおこなわれ、1987(昭和62)年6月1日に竣工されました。その後、ノンステップ改造、1991(平成3)年6月6日冷房化、1996(平成8)年7月2日機関交換(DMH17H → DMF13HZ)、1998(平成10)年12月11日行き先表示窓の復元などの改造がされています。このほか、車輌前面部の写真で比較してみると「冷房用?」ケーブルの新設、「貫通扉脇のスチールパイプ」、「手すり」、「足掛け用のスチール板」、「ジャンパ受け」・「日本国有鉄道・日本車輌のプレート」・「ヘッドマーク取付?フック」などの撤去が確認できます。
 



 

 また前面サイドでは、1993(平成5)年3月31日に幌が取り付けられ、アンテナ設置、標差しの撤去、排気煙孔改造、エンド標記位置が相違しています。




左の筑波時代は@エンド、右の関東鉄道はAエンドから撮影しています。


 
                                            台車はTR51B(付随台車) オイルダンパが外されている


(左)キハ301 DT22C(動力台車)  (中)キハ002 TR51B(付随台車)  (右)キハ102 DT22C(動力台車)





前面強化は国鉄時代に行われ、そのまま受け継いでいる。




 筑波時代と比べて自重が1.6t増加している。
 冷房・暖房設備の追加、エンジン交換などによるものだろうか。

 2005(平成17)年からは稼動していない?


ステップ設置による車体台枠の強度不足を補うために外吊式の扉が採用された。
1993(平成5)年2月鋼製からステンレス製の扉に交換されている。


入線当初は筑波時代のままの塗色だったが、翌年の300型、350型入線から旧塗色は順次変更されキハ301も新塗装に改められた。


“車長20メートル”、“両開き・幅1,300mm・3扉”車の大量導入により整列乗車が可能となり、更なる乗降時間の短縮に貢献した。


40両もの仲間を呼び集めたキハ301は現在(2010/05) 物置として水海道車庫の片隅に残っている。


お ま け(2010/04 水海道)





お ま け-2(2011/10 キハ350型 定期運用終了)























このページの追加参考資料
鉄道ピクトリアル    No.742
鉄道ファン     No.516 517
 鉄道ジャーナル  No.246 357
             
 

2010/5/17 公開
2011/10/11 「おまけ-2」追加