土浦駅

 国鉄が無くなるまでの数年間は、相次ぐローカル線廃止、旧型車輛の駆逐、電車の短編成化と凄まじいスピードでの変化に戸惑い、趣味的にはまったくもって暗く重苦しい日々の連続でした。

 山陰から旧型客車が消えてしまったときが自分としては鉄道趣味の一区切りで、後年50系客車が廃止される直前までの8年余り、JRの写真はほとんど撮っていません。

 そんな20歳半ば、いよいよ国鉄も最後の日曜日となる1987年3月29日に、ボンネット特急のJNRエンブレムも見納めかと、撮りに行こうかどうしようかぐだぐた午前中を過ごした末に、弾まない気持ちに鞭打って昼過ぎの常磐線に三脚を抱えて乗り込みました。

 途中我孫子の電留線でJNRマークが削り取られている203系の側面をみては「まだ国鉄は終わってないんだからJNRを消すんじゃねーや」と悪態をつきつつ佐貫で下車、牛久寄りの直線区間でクハ481を何枚か流し撮り 「ここまできたんだったらついでに筑波鉄道にお別れしていこうか」と、そんないい加減な気持ちで土浦に降り立ったのでした。 

 

 このあと、763に乗り込み真壁駅で撮影した後、岩瀬から折り返してきた同じく763で土浦に戻ってきています。
 というわけで、この「筑波鉄道」のページでは土浦駅と真壁駅の写真が1987年の撮影で、他の駅や走行写真の大半は1985年春の頃となります。





 電車と違って乗務員室の床の高さと、乗客用乗降扉の床の高さの違いが面白い。

 いまどきの若いヒトは乗降扉の所にステップ(階段)があったなんて知らないでしょう。
 昔は立ちながら扉に寄りかかって窓の外を見るということが意外と難しかったのです。




 
 
 16時44分発の岩瀬行き気動車。

 日が長くなったとはいえ3月。これから写真を撮りに行く時間じゃあない。
 当時のやる気のなさが良く分かる。

 このキハ301 9ヶ月間しか筑波鉄道では活躍できなかった。
 しかし廃止後は多くの車輛が解体されたなか、幸運にも関東鉄道常総線に移籍できた唯一の車輌。

 元国鉄キハ30-16。



 

 両車輛とも貫通式。
 よって幌はなくとも、(763にはつけようがない)走行中でも車輛間移動は物理的に可能。

 転落防止用のスチールパイプ(手すり)の形状の違いも興味深い。
 

 実際に移動できたのかしら?
 まさかね。でも、サン板が跳ね上がっていないところが怖い。

 

 このキハ301、真鍋駅か筑波駅どちらで切り離しされたか覚えていません。真壁駅ではぶら下がっていませんでした











 

 あったら怖い車両。
 「6扉のキハ30」という投稿をどこかで読んだことがある。


 その後のキハ301は、こちらから。



 


 昭和45年に北海道、釧路の雄別鉄道から回送されてきたときの一枚。

 といっても違和感がないくらいピカピカ。
 3日後に廃止となる鉄道の車輛とは思えない。 















      


 




 土浦駅の筑波鉄道の発着ホームだった1番線は、廃止になったあとも2000年頃までは油が染み込んだ道床もそのままにディーゼルカーの停車位置を示していましたが、その後アスファルトで固められた駐車場となり水戸方面行き旧2番線が1番線へと変更され消滅してしまいました。




2009/10/03 更新
2010/05/17 何輌かの1輌。さらにそのなかでも例外的に長らく活躍できた車輛。⇒唯一の車輌。 訂正