下之郷から中塩田に向かって
快走する3310+3772
3310のサイドビュー
パンタのついていない側に
半室運転台がついていたそうです。
それが証拠に前照灯が載っています。
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平日の朝限定、上田原⇒中塩田⇒上田⇒上田原の1往復のみ。
7時過ぎに上田原を出て客扱いせずに(たぶん) 中塩田へ。
上田から上田原も客扱いしていなかったと思う。
(パンタグラフの下に乗っているのは
車掌さん?)
中塩田では本屋側に停車
上田行きとの交換待ち。
大窓が好ましい。
例によって床下が真っ黒でスミマセン。
戦災復旧車(クハ65-147)、昭和36年に車体を乗せ換えている。昭和57年9月東急で廃車後、58年11月上田交通に。台車は以前からのTR-11。
近代的な車体と大窓、地下鉄を思わせる高窓ドア、
古典的な板バネ台車とのアンバランスな
組み合わせが面白い。
平日の朝、1回のみの出会い
中塩田での3310+3772の撮影は
この1回だけだったのでわからないが
たまたま、252の運用だったのか?
290型がきたのなら、それはそれで
東急コンビの横並びで面白かったかも
しれないが、好みからいえばやはり
252でよかった。
電車の進行方向前面の線路を横断して
撮影していますが、遮断機のあがっている踏切内からの撮影です。
(再び念のため)
というわけでもう一枚。
ホームの真ん中にコンクリート製の
架線柱がない時代だよ。
さて、突然ですが質問です。
対向列車がくるとしたら何型が
良いですか?
よしよし、思い通りの電車が
やってきました。
しかし、フイルムは1枚しか残っていません。
さて、あなたはどのタイミングで
シャッターを押しますか?
結果、あなたは
「ストラクチャー派」・「シーナリィ派」・
それとも「車輛派」 えっ「時刻表派」!?
"秋の夜長の時刻表"
7時半(くらい)に上田に向けて
出発です。
茶色く塗って南武線やら青梅線に
おいても違和感がない車両。
大正3年生まれだそうです。
3772同様東急から、昭和50年に
上田にやってきた。
「明治43年式電車型」の台車
とのこと TR-10
上田原車庫にて
車体の長さは3310が 15,9メートル
3772が 17.84メートル
とのことです。
チビがデカイのを引っ張る、
5250型と290型も同様です。
東急で任を解かれた3600系は定山渓、弘南、豊橋、名鉄と各地に転じていったが東急時代と変わらない塗装というのはここ上田だけだったようだ。おまけに車体側面には東急マークがついていたし、
東急ファンにはたまらんかっただろうなぁー
古い電車にしては床が高い。
ホームとの高低差が15センチ以上は
ありますよねー。
古い電車と古い木造の駅舎。
交換駅。
木製の渡り通路、ホームに続く石段
もちろん架線はワイヤー張り。
緑の植え込みも程よいアクセント。
見てのとおり、駅舎内から改札口
を通して3310をのぞむ。
こういっては失礼だが結構な
人数のお客さんが乗っている
ドアのプレスが懐かしい。
客扱いが平日朝の中塩田⇒上田 1回のみ
あとは上田原で1日お昼寝。
もう少し働きたかっただろうなぁー。
立派な前照灯に灯がともっているところも
見たかった。
そう考えると、丸窓は幸せ者か。
いっぱいのお客さんを乗せて、
上田に向けてラストスパート。
寺下駅に進入
フイルムの順番からも絶対に
上田行きに間違いない、だったら
なぜ、踏み切りの遮断機があがっているのだ?(今、発見)
遮断機が新設されたでもまだ稼動していない・・・ としておこう。(不明)
ほぼ座席は埋まったようです。
尾灯に灯がともっている。
すべての写真をチェックしてみたが
日中に尾灯を点けて走行していたのは
この3310だけでした
枕木と犬釘、道床の状態も興味深い
5250型のページの城下駅と
見比べてほしい。
たった半年の間に激変している。